2007年12月02日
楊貴妃の生い立ち
とても謎な人物です。
もっとこの人の行ったことについて調べたいと思います。
蜀出身。幼いころに両親を失い、叔父の楊玄琰の家で育てられたという。
楊貴妃は元々玄宗の息子(寿王李瑁、第十八子)の妃の一人であったが、玄宗に見初められたために、一時的に女冠(女道士)となり(このときの道号を太真という)、その後で、玄宗の後宮に入った。これは息子から妻を奪う形になるの避けるためである。
玄宗は楊貴妃との愛欲の生活に溺れたため、まったく政治を顧みなくなり、彼女を喜ばすために楊一族の位を高くした。その結果、楊貴妃の従兄の楊国忠の専横を許すこととなった。中国史では伝統的な、外戚の専横である。
楊国忠は自らの名声を高めるため、遠征を行うなどの悪政を行ったために国力を弱め、民衆からの恨みを買うこととなった。
さらに楊国忠は権力争いのライバルである節度使の安禄山を蹴落とすために玄宗に讒言を行った。結果的に、これに危機感を覚えた安禄山は反乱を起こした。
首都である長安から逃げ出して蜀へ向った楊貴妃たちだが、馬嵬(陝西省興平市)に至ると、乱の原因となった楊国忠を強く恨んでいた兵士達は、彼の部隊を包囲して殺害した。さらに兵士達は、玄宗に対して楊貴妃を殺害することを要求したため、玄宗はやむなく楊貴妃を縊死(首吊り)させた。
評価
国を傾けたと言っても、国政への露骨な介入、反対派の粛清などといった悪事は行っておらず、いわゆる「悪女」ではなかったとされる。ただ、彼女の存在が唐王朝の衰退を招く原因となったことは事実であろう。もっとも、これについては、彼女に溺れて国政を放棄した玄宗自身の責任であるという意見も強い。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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